十二、 ヒルティの読み方 P.25
まず、拙稿一章から十一章までのヒルティの著書からの引用箇所を集計してみますと、
「幸福論第一部」 0
「 同 第二部」 15
「 同 第三部」 10
「眠られぬ夜のために第一部」 11
「 同 第二部」 6
となります。見てお分かりのとうり、「幸福論第一部」つまり、「幸Ⅰ」からの引用は皆無です。その理由は「幸Ⅰ」には内容的にヒルティあるいはキリスト教の本質的な部分に触れる箇所が見られないということではないかと思います。少なくとも私にとってはそうなのです。つまり、私が「幸Ⅰ」から学んだあるいは影響を受けたということは殆どあまり、ないと言うことになります。
「幸Ⅰ」の内容は「仕事の上手な仕方」や「時間の作り方」などエピクテトスも含めて現世を生きていく上での処世訓的なものが多くを占めているように感じます。勿論、ヒルティも
『仕事は人間の幸福の一つの大きな要素である。』(幸Ⅰ222頁)、
『キリスト教は生活さるべき一つの生命である。』(夜Ⅱ1月十日)
と言っているように現世での日常生活のありかたというものは大切なことです。
また、「幸Ⅰ」の後半ではキリスト教の信仰についても深い洞察を示しています。しかし、それはまだ、ヒルティそしてキリストの教えの真髄についての言及にまでは至っていません。その真髄とは「艱難辛苦の中にある人を救い(回心)に導く教え」つまり、「福音書」にある「聖霊」、「魂の永遠性」、「復活」、「神の宿りによる真の幸福」等の言葉に満ちた教えです。これらの言葉は「幸Ⅰ」には殆ど見られないのです。
私が思うに「幸Ⅰ」は「幸Ⅱ」、「幸Ⅲ」へ導くためのプレリュード(前奏曲)のようなものではないか、そしてそれはヒルティの意図したことなのかもしれません。
あるいは「幸Ⅰ」と「幸Ⅱ」の刊行された間(1891-1895の4年間)にヒルティに大きな心境の変化があったのかもしれません。
ですから、ヒルティの読み方として「幸Ⅰ」だけを読んでヒルティを学んだと思うのは早計であり、誤解につながりかねないということです。一流の学者先生でさえこのような読み違いをしているのです。
読む順として「幸Ⅰ」よりまず「幸Ⅱ」、「幸Ⅲ」を先に読むということを私はお勧めしたいと思います。また、ヒルティも言っているように「聖書」を脇に広げておくとより理解が深まるかと思います。
「眠られぬ夜のために」の方はこういう問題はないので毎日一章ずつゆっくり読んでいけばよいと思います。
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