十一、 ヒルティを生きる ― 「人生観のコペルニクス的転回」の達成 P.24
そして、これまでのあらゆる疑問が氷解していき、ついには全てを理解するに至ったのです。この世に生を受けたときから神の愛に包まれていたこと、これまでのあらゆる艱難辛苦は人生最高の目的を達成する為に神が私に与え給うた試練だったということ、等などです。
長年、不可解だったヒルティの言葉の一つ一つが心に染み込むように理解できるようになったのです。今、書いていること自体私一人でなく、何かにそう、『人間生来のあらゆる力に優るある大きな力』に包まれて書いているように感じるのです。
そして、今の私の心境を箇条書きにして披瀝させていただくと、
1、 心の中にこれまでとは全く異なる高貴な存在の宿りを感じる。そのために心が光で溢れ、平 安で幸福な感情に包まれることが多い。一人暮らしをしていても、孤独感に襲われることがな い。
2、 あらゆる生命あるものに友愛、慈愛の心で接することができる。老人、子供、貧しい人、病 人、弱い人から動植物、昆虫に至るまで。
3、 仕事、家事等生活のあらゆる面で真剣かつ、積極的に取り組むことが出来る。
4、 人を恐れる気持ちが希薄になる。
5、 死への恐怖感が薄れる。むしろ、親しみを覚える時さえある。魂の永遠性というものを実感 する。
6、 真実の自分を感じる。
7、 精神と肉体の健康に溢れていることを感じる。
まさに、「今、ヒルティを生きている。」という実感です。自分の変貌振りに我ながら驚嘆するばかりです。50年間「生まれてこなければよかった」と嘆き続けてきました。しかし、「生まれてきて良かった。」これも今の実感です。なんと言う違いでしょうか。ここに「人生観のコペルニクス的転回」が達成されたと言えるのかもしれません。
以上、けして自慢話をしているわけではなく、私のようなどうしようもない人間でも新たに生まれ変わることが出来ることを知って欲しいと願うだけです。
『 いたずらにあなたを苦しめるために
苦難があたえられたのではない。
信じなさい、まことの生命(いのち)は
悲しみの日に植えられることを 』 (「夜Ⅰ」3月15日)
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