2012年3月28日水曜日

   十、 の続き                                            P.23

  先日は失礼致しました。自分のことを振り返り、しかも書き留めるとなるとなかなか辛いものがあります。ヒルティ先生でさえ具体的な信仰体験は一切書き残していないようです。(第二章参照のこと)

私の人生は物心ついて以来、恐怖、失望、屈辱、挫折、意気消沈に満ちたものでした。
何をやっても裏目にしか出ない、高校時代神経症に陥った時、世界に冠たると言われた入院療法を数度にわたって受けても効果を得られなかったことが私の艱難辛苦の始まりでした。

何とか大学を出て社会人になったものの、常に仕事や人間関係のトラブルに付きまとわれ、挫折を繰り返してしまうのです。そして、私は不幸を周囲に撒き散らす酒飲みの疫病神のような存在と化していきます。今思うと、荒れ狂う自分の心を麻痺させるための飲酒だったように思います。奇人、変人視され、また人から恨まれ、また人を恨んできました。悲惨と屈辱のなかで半世紀にも渡って心の彷徨は続きました。私は生まれながら大きな心の十字架を背負っているようでした。

口癖は「生まれてこなければよかった。生まれてきたことが間違いだったのだ。」
それでも死ななかったのは心のどこかに「いつかは救われる。」とのかすかな希望があったからでしょうか。聖書や仏教書を読み、また禅の接心会にも参加したりしました。(しかし、洗礼は受けていないし、クリスチャンとは言えません。)そういう中で出会ったのがヒルティの著作でした。日夜読みふけりましたが、なかなか理解できず、心は荒れ狂うばかりです。

  このような私の心に奇跡が起こります。とっくに還暦をすぎていました。
ある肌寒い夕方、孤独と悲しみに打ちひしがれながら部屋の雑巾がけをしていたとき、神の光が私の心に差し込んできたのです。この時から、この世で最高にして、最大、最強の高貴な生命体の宿りが私の心の中にはじまったのです。半世紀にもわたる艱難辛苦の集積が強力なエネルギーと化し、心の重い扉をこじ開けたのかもしれません。

( まだ続きます )

0 件のコメント:

コメントを投稿