八、 自殺願望者へ P.20
『外的生活においては、償いがたい損失とみなされるもの、即ち、「破滅した存在」とかいわば生涯の設計全体にわたる裂け目といったものは、内的生活から見ればけして損失ではない。かえってそれは、キリストへの信仰が最も良く栄える地盤である。まさしくこのような状態にありながら絶望し、自分がどんなに救いに近づいているかを悟りえなかった人々こそ、あらゆる人間の中でもっとも哀れむべき人々である。』 (「幸Ⅱ」317頁)
日本における自殺者数は13年連続で3万人を越えるそうです。この人々は本来ならば、ヒルティの言う「神の学校」つまり、『次の存在のための学校』に入学するに値する人たちと言えます。
そして、苦悩という教師に厳しい教育を受けて魂の成長を果たし、『真の教養人』となって、世の中核となりうる人たちでした。しかし、そうはならず『あらゆる人間の中で最も哀れむべき人々』となってしまいました。それはなぜて゜しょうか。
それは『そのような気の毒な道をたどりつつある人々にむかって、誰も一度も真理を語ってやることがなかった。』(前掲に同じ)からです。
現在、関係者をはじめとする多くの人達が自殺予防のために取り組んでいるようですが、その効果はなかなか現れないようです。神学校や大学で教義や理論を学んだだけの神職、僧職や心理療法家ではやはり何か足りないのです。せめて誰か一度だけでもヒルティの著作の中から苦悩と死の意味を語り聞かせられたらと心から悔しく、残念な思いに駆られてしまうのです。
『自分で死にたがるのは人生の困難を逃れようとする不誠実な手段である。
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自分勝手な死によって、恐らく人生はけして終わってしまったわけではなく、、その後に別の、たぶん遥かに困難な生活が続くであろう。もしそうだとすれば、どんな場合にもわれわれはこの生を勝手に断ち切ることは出来ないのである。』 (「夜Ⅰ」11月1日)
自殺は内なる神性の抹殺であり、神への冒涜の最たるものといえるかも知れません。心の奥底にある「宝玉の如き心」を掘り出すことなく、自らの命を絶つなどなんともったいないことではありませんか。第一章のヒルティの言葉を思い出してください。
ダンテの「神曲」には自殺者の霊がたどる悲惨な光景が描かれています。彼らは真っ暗闇のなかをたった一人でしかも、永遠に彷徨い続けなければならないのです。その時、「しまった」と後悔してももう手遅れです。
なんとしても自ら命を絶つことだけは思いとどまり、神への道を目指すべきです。何十年かかろうといつか必ず回心(悟り)に辿り着くのだとの力強い決意を持つこと。なにより、「忍耐」が必要です。そして、悪による死への誘惑を断固拒否しつづけることです。
自慢じゃありませんが、かく言う私(筆者)は心に「神の光」を見出すまで無明の中を彷徨うこと半世紀、50年近くかかりました。人生というものはそれだけ苦労する価値があるものなのです。生命の永遠性を考えれば、50年などほんの一瞬かも知れません。
『この世の最大の力とは国民の数や兵力や富ではなく、神の霊にすっかり満たされた個々の人格であり、これは一国にとって、何物にも代えがたい価値を持つものだ。』(「夜Ⅰ」5月28日)
絶望の真っ只中にいる数万の自殺願望者が「永遠の神の光」に目覚めて、回心に至れば国家を大変身させることも出来るでしょう。
ヒルティの文章から人生を変えられ、その教えを人生の中に取り入れて、生活の中でヒルティの言葉を体現しようと進んでこられたkaishinenomichi様の手記に、同じく、自殺の淵からヒルティに救い挙げられた者としてとても感銘を受けました。
返信削除ヒルティ喫茶というブログを書いています。kaishinenomichi様の本ブログについて、ヒルティ喫茶に少しずつ転載し(URLもつけながら)、他の読者(数名しかいないのですが‥)と一緒にシェアさせてもらってよろしいでしょうか?