二、 艱難辛苦を通して救いへ P.8
ヒルティが具体的にどのような艱難辛苦の道を経て回心に至ったのかは「ヒルティ伝」(白水社刊)にも書かれていません。ただ、
『私の生涯においてまるで夢遊病者と同じ様子であったことが数限りなくあった。』
(草間平作・大和邦太郎訳「眠られぬ夜のために 第一部」3月22日 岩波書店1990年刊より。 以下、本書を「夜Ⅰ」と略します。また、頁でなく、書かれた日付で示します。)
との記述があるだけですが、ヒルティが長い時期艱難辛苦に耐えてその結果回心に至り、名著を残すことになったのだということは想像に難くありません。
旧約聖書詩篇に書かれている苦難に喘ぎながらも神を求め続けたダビデの生き様や次のパウロの言葉からも回心へ至る道は言語に絶する試練の中からこそ初めて開かれていくことが理解出来ます。
『彼がそれを選んだのは「極度に耐えられないほどに圧迫されて、生きる望みを失い、心のうちで死を覚悟した時であった。それは「自分自身を頼みとしないで死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするためである。神は死から私達を救い出してくださった。なお、日々救い出してくださる。だから、私達は神が今後も救い出してくださることを望んでいる。」』 (幸Ⅲ135頁)
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。」、或いは「断崖に身を翻して後に蘇る。」との言葉もあるように、パウロは絶対絶命の深淵の中から自己のすべてを放棄し、神へそのすべてを委ねたことによって、「永遠の神の愛」に目覚めたのです。
ヒルティは人生をこの「永遠の愛に目覚めることを最終目的とする学校とみなしました。
『人生の意義は、この人生をばますます高い目標を追って進む次の存在のための学校だとみなさない限り、どんな宗教や哲学によっても、充分に明かされない。つまり、この時代にわれわれはこの地上ではまだわが身に付きまとう動物的なものを肉体とともにすっかり脱却して、自由な精神的存在となる用意をしなければならないのである。これに反対するのは悪の存在であり、それはあらゆる手段を用いてほかならぬ人間のそのような完成を妨げようとするのだ。』
(草間平作・大和邦太郎訳「眠られぬ夜のために 第二部」2月10日 岩波書店1990年刊より。以下、本書を「夜Ⅱ」と略します。また、頁でなく書かれた日付で示します。)
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