2012年3月17日土曜日

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  『人生は出来るだけ早く見捨てねばならぬ単なる悲しみの谷ではなく、むしろ、われわれの全存在の最も大切な一時期であってまさにこの間にわれわれの全存在が前進する生となるか、あるいは序々に実現する実際の死となるかが決定されるのである。』 (幸Ⅱ236頁)

  『われわれはまさにこの戦いや、種々様々の艱難を切り抜けて完成にまで到達しなければならないのであって、こうした完成こそは現世における我々の任務なのである。ただ艱難辛苦によってのみ、我々の頑なに閉ざされた心がすっかり開かれてより高い世界観の尊い種子を受け入れるようになる。その種子はわれわれの心の中に蒔かれて、まず芽を出して、それから成長し、花咲きついには実を結ばなければならない。こういう生命の過程は促進することもできず、回避することもままならず、ぜひとも通り抜けなければならない。』 (幸Ⅱ236頁)

  『大きな苦しみも、全くの不幸として偶然からやってきたのではなく、ある目的を持って恵み深い御手から与えられたものと考えれば、耐えやすいものとなる。』
 (ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳「幸福論第三部」岩波書店1999年144頁 以下幸Ⅲと省略します)

 ヒルティは人間が蛇蝎の如く忌み嫌ってきた艱難辛苦こそが不可解極まる人生の正体を解き明かすための鍵であり、人間は疾風怒濤の苦悩の時期を通してこそ人生の本当の意味が理解出来るといいます。『恵み深い御手』とは『神』のことであり、『ある目的』とは『人生最高の目的』ということでありましょうか。
ここにおいて、私達には「人生観のコペルニクス的転回」とでも言うべきものが求められていると言えるかも知れません。この問題の核心とも言えるところを更に学んで行きましょう。

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