四、 如何なる人も回心に至りうる。 P.13
「やはり、よほど優秀で卓越した人でないと回心や悟りに至ることは出来ないのではないか。私などには別世界の話だ。」との声が再び聞こえてきそうです。
しかし、それは大きな誤りです。
ある世界的な物理学の権威と言われる人が著したヒルティについての本があります。私は期待を込めて読み始めましたがすぐに失望に陥りました。確かにこの著者はヒルティを論じていますが、それはヒルティの一部にすぎません。しかも、最も本質的で内面的な部分には全く触れていないのです。
世界的物理学者という影響力を考えると、その真髄に触れることなく、ヒルティを論じる書を著していることはどうかと思わざるを得ません。これでは正しいヒルティ像とその教えが世に伝わりません。
いかに優れた物理学者とはいえ「魂の永遠性」とか「人生の最大幸福は神と共にあることだ」等と言っても体験がなければ真の理解は困難なことと思われます。回心は科学的、論理的に証明できるものではなく、理解できないから避けているのだと思われてもしょうがありません。
この世で名誉や栄光を受けた人が必ずしも神の祝福を受けるとは限りません。「山上の垂訓」(マタイによる福音書5-1~12)にあるように、真実神の光を受けるに値する者は心の貧しい人、悲しむ人、義に飢え乾く人、義のために迫害される人等この世での名誉や栄光には無縁の人たちです。運命に打ちひしがれ、打ち砕かれ常に意気消沈に喘ぐような人たちもしかりです。そのような体験を通して始めてヒルティの言葉は理解できるのです。最近ではある高名な大学の先生がヒルティについての著書を出していますがこれも期待はずれでした。同じく避けているとしか思えません。この人は日頃尊敬している人でもあったのでずいぶんがっかりしたものです。
『あらゆる人が、学問のあるなしに関わらず、老人でも、若者でも、男でも女でもみなこの霊を受けることが出来る。この霊は人間の間に少しも外的な差別を設けない。』 (「幸Ⅲ」297頁)
キリストは「むしろ、バカになる方が身のためです。天からの真の知恵を受け取る妨げにならないためです。」(コリント人への手紙Ⅰ 3-18)とさえ言っています。そのとうり、この世の知恵と知識は神に至る道には必要ありません。
『真のキリスト教は現代に至るまで、おそらくただ個々の人々、しかもたいてい世に知られなかった人々においてのみ充分な実を結んだ、と信じたい強い誘惑にしばしば駆られる。』
(「夜Ⅰ」3月8日)
ヒルティ自身、犯罪人たちが、自殺の境までおいやられた絶望から突然、魂の平安に達し、それから後、重い懲役生活を充分耐えうる、否それどころかそれを当然負うべきものと思うに至ったというような例を見たことを告白しています。 (中沢洽樹訳「ヒルティ著作集9」白水社より)
〔 続きます 〕
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