七、の(二) P.19
前述した瓏仙老師の言葉は諸宗教が追い求めるべきものが究極的に普遍的、実存的真理に帰するということを示唆しているように思われます。つまり、「聖霊」も老師の言う「宝玉の如き心」もヒルティのいう「超感覚的世界の存在」、あるいはまた、「人間生来のあらゆる力に優るある大きな力」に通じるものでしょう。それは宗教、宗派を超えたものです。それは前章「ヒルティと禅」で私が訴えたかったことでもあります。
アポロ9号の宇宙飛行士シュワイガート氏は宇宙空間での神秘的体験を語っています。その時感じた不思議な力をライフフォース(生命の力)と呼んでいます。そして、「地球も宇宙も大きな生命体、その生命は地球を包み、地球に生息する全ての生命力に吹き込まれている。」と語っています。
これこそキリスト教、仏教など諸宗教が追い求めるべきものではないかと感じるのです。それは「至高の意思を持った宇宙に隈なく存在する普遍的真理」とも表現できるかと思います。
宗教というものはこのような普遍的真理を山頂とする山登りにも例えられましょう。その山頂へ至るコースはキリスト教コース、仏教コース、回教コースなど多彩であり、さらに無数の宗派に分かれています。登山者(信者)は目指す山頂は同一であるはずなのに、自分達のコース(宗教あるいは宗派)こそ唯一無二絶対正しいと信じているので、争いが生じます。それが有史以来飽くことなく続いてきた宗教戦争です。これほど愚かなことはないと思います。戦争まで至らずともほとんどの登山者(信者)は頂上を見失って、コースをはずれ挫折してしまいます。
他の宗教も認めるという広い視野が求められましょう。それは「無宗教の宗教」というものでありましょうか。ヒルティはそこまでは言ってませんが、ヒルティを学んでいくとそういう考えに行き着くのです。
『実に神の近くにあることこそ、あらゆる宗教の、真に唯一つの重大事である。』(「幸Ⅲ」208頁)
( 次の八章では「自殺」のことを考えて見ましょう。 )
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