2012年3月20日火曜日

     四 の(二)   V.E.フランクル                              P.14
                                                                                                                                                                                                                                                                                    
 同様の事実はV.E.フランクルという精神医学者がその著書の中で第二次大戦中アウシュビッツ強制収容所という極限状況の中においても見られたことを証言しています。

 「私は強制収容所で以前から知っていた若い女性と一緒になりました。収容所で再会した時、彼女は惨めな境遇にあり、重い病気で死にかかっていました。そして自分でもそれを知っていました。けれども、死ぬ数日前にこう明かしてくれました。
〈私はここに来ることになって、運命に感謝しています。以前何不自由のない生活を送っていた時、たしかに、文学についていろいろと野心を抱いてはいましたが、どこか真剣になりきれないところがありました。でも今はどんなことがあっても幸せです。今はすべてが真剣になりました。それに本当の自分を確かめることができますし、そうしないではいられないのです。〉
こういった時、彼女は以前私が知っていた時より、はればれとしていました。
彼女はその時リルケがあらゆる人に求め、望んだことができたのです。つまり、〈死を自分のものにできること〉に成功したのです。いいかえると、死までも全生涯の意味に組み入れ、死によってさえ、生きる意味を実現することがほんとうにできたのです。」  (V.Eフランクル 山田邦男・松田美佳訳「それでも人生にイエスという」 春秋社1993年 79~80頁)

もう説明は要らないと思います。 この例からも「魂の永遠性」というものが真実味を帯びて迫ってきます。
今、手元に「遺愛集」と言う一冊の歌集があります。これは一死刑囚の遺した短歌集ですが、その中の三首をご紹介させていただきます。(島秋人 「遺愛集」東京美術)

    悟(し)ればなお愛しさ湧きていのちとはかくも尊きものとしらさる

    身に持てる優しさをふと知らされて神の賜る命と思ふ

   笑む今の素直になりしこのいのちあるとは識らず生かされて知る (処刑前夜の歌)

 短歌を通して良心に目覚めて行く心の過程がひしひしと感動的に伝わってきます。
曹洞宗永平寺の管長だった瓏仙老師というひとは「如何なる人にも潜在的に秘蔵している宝玉の如き心があり、修行によってそれを掘り出すことが悟りである。」と言っています。
不治の病の青年、収容所の女性、死刑囚の歌人、また仏教における悟り、いづれも救いに至るその過程はキリスト教でいうところの回心の過程とほとんど全く同じではないかと思えてならないのです。それはあらゆる宗教宗派を超えた大宇宙に存在する普遍的真理というようなものではないでしょうか。

  『来世では現世で非常に軽視されてきた人々が有名な教父たちや現世で聖者とみなされていた人々よりもしばしば高位におかれ、、また先進していることも充分ありうるのである。』
                                        (国松孝二他訳 「ヒルティ著作集8」白水社1979年)

  『教理を知らないでもクリスチャンである者が少なくない。キリスト教は証明さるべき教義て゜はなく、生活さるべき一つの生命である.』 (「夜Ⅱ」1月20日)
  これでお分かりいただけたでしょうか。このように、栄光や名誉のみならず、学歴も学識も肩書きも家柄も全く関係ないのです。
長年、教義の学習や研究にあけくれてきたにもかかわらず、多くの知性も教養も豊かな聖職者達がその利己心が障壁となって、回心に辿り着けないことから、焦燥感或いは懐疑に陥っているという教会の現実をヒルティは嘆いています。その結果、形式主義、偽善、空理をもてあそぶ不毛の神学論争に陥る実態は今もあまり変わりはないでしょう。このようにいわゆる「偉い人」が必ずしも偉いとは限らないのです。

  『御霊は風のように思いのまま吹き、随時、その器となるべき人間を自ら探し出すのである。」                                            (「夜Ⅱ」7月14日)

御霊(聖霊)はいかなる人の魂に宿ろうとしているのか良く考えてみるべきです。

                                             (第五章へと続きます)





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