七、 真の宗教とは ― 宗教、宗派をこえて P.18
『キリスト教こそ、貧しい者、虐げられた者のための、世にある限り最上の世界観を含んでいる。』
(「夜Ⅱ」5月6日)
ヒルティはキリスト教を唯一無二、至上のものとして信仰し続けましたが、一方でキリスト教会の存在価値は認めつつもこの教団は 『その創始者の思想に完全に適合した正しい完成に達したことがまだ一度もない。』 (「夜Ⅰ」3月8日)とし、また、聖職者達が教条主義、形式主義果ては偽善にさえ陥っている教会の現実に警鐘を鳴らし続けました。そして、人を仲立ちとしないで、自己がキリストと直接に対峙することこそまことのキリスト教の道であると説いたのです。
『ただ神とだけでいることが重要であり、他の人達と絶えずいることは、彼らを真の自己反省に導かない。これが、ひどく過大に見られがちないわゆる「キリスト者の交わり」に生じる欠点である。』 (「夜Ⅰ」8月10日)
毎週末教会に行って説教を聞き、祈りをささげ、讃美歌を歌ってのち談笑のなかで信者同士の親交を深める。そのようないわば仲良しグループのような集まりでは真の内的進化は望めないということでありましょう。
『要するに肝心なことは教理ではなくて、むしろキリストに捧げる愛と生活であり、これを通じてわれわれをただ一人でもまことの真理に達しうると言うことを承認する信仰である。』 (「夜Ⅱ1月20日)
また、『キリストの神性について議論することは全く無益なことである。』 (「夜Ⅰ」9月8日)とし、三位一体説に対しても『理解不可能なものであり、単なる比喩に過ぎない』 (前喝に同じ)とも断言し、不毛な神学論争を諌めています。このようなヒルティの言葉をみてくると、教団も教会も聖職者の説教も真の救いのためにはむしろ、障害であるかのように思われてきます。
では本当の宗教とは一体どういうものなのでしょうか。もう少し、考えて見ましょう。
( 続きます )
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