2012年3月18日日曜日

    三 の(三)                                                                                         P.12

生の終焉であったはずの死が新たな生の門出となるなどとは外的な感覚ではとうてい理解しがたいことです。聖書の言葉は知性や感覚によってではなく、神の霊と共にあって初めて真の理解に達するということでありましょう。

「生命はただ死からのみ。あらゆる進歩はそれまで生きてきたものとの絶縁から始まる。」
(ルカ書14-33)

不治の病の若者の心境を表して余りあるキリストの言葉です。
ヒルティは死について言葉を変えて説明してくれます。

  『生命の存続の希望を持ちうる場合のみ、死はやさしくて厳粛な使者であって、疲れた旅人にその旅路の終わったことを告げ、一歩一歩骨折って登ってきた山頂から、やがて間もなく、広々とした新しい世界を展望しうる時が近いのを知らせてくれる。』 (「幸Ⅱ」218頁)

  『死は我々が考えるより、ずっと些細なできごとであり、また、その正しい意味を理解すれば、ずっとどうでもよい事柄だといえよう。』 (「幸Ⅱ」234頁)

トルストイは死が近づいてくる時の実感についてつぎのように語っています。

「死は私にとって恐ろしさを失い、私は死が生のエピソードの一つであり、生は死によって終わるものではないという認識に日毎に近ずいた。」 (「夜Ⅰ」11月1日)


― 続きます ―

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