2012年4月14日土曜日

十三、   最後に                                        P.26

 わが心の師ヒルティの言葉に触れつつ、思いを記してきました。日頃、あまり文章など書いたこともないので、まとまりも文章表現も良くなく、分かりにくい箇所があったのではないかと思われます。お許しください。
繰り返すようですが、私としてはただひたすら、絶望している人、意気消沈している人、自殺を考えている人など現在、艱難辛苦の中にある人たちに「ヒルティの言葉あるいは私のささやかな体験談の中から何かをつかんでほしい、参考にして欲しい」との願いがあるだけです。
ヒルティはこの人生を『高い目標を追って進む次の存在のための学校』(二章参照のこと)とみなしました。その門戸はすべての人たち、特に艱難辛苦の中にあるすべての人々に対して開かれています。
 もし、あなたが今、艱難辛苦の中にあるならあなたはこの学校への入学を許されたのです。ぜひとも、入学してください。この学校の生徒であることは神に選ばれた証だと自覚し、卒業を目指して邁進しなければいけません。ただし、この学校を卒業することは非常に難しいことです。おそらくこの世で一番卒業が難しい学校でしょう。逆にそれだけ修行のしがいがあるというものです。
私も少しはある段階を超えたかもしれませんが、卒業したわけではなく、油断は許されません。まだまだ未熟であり、「真の教養人」となるには更なる心の修行を重ねる必要があります。在校期間は肉体的生命が終わるまで続きます。その時、卒業に値するか否かが決定されるでしょう。その決定者は自分自身です。なぜなら、その時点での自分の心のあり方の中に裁きがあるからです。

 『問題は愛する能力如何にあって、これのみが来世において判断の尺度になるであろう。』 
                                (「ヒルティ著作集8」P.311 前掲書)

 卒業した暁にはこの世で最高、最大の名誉「永遠の生命」が与えられて、「次の存在」への移行が約束されるのです。

以上でひとまず、本稿を終了します。今後は皆様との触れあいのページを設けたりして共にヒルティのことを学んで行く場にしていきたいと願っていますので、ぜひコメント、意見、感想等をお寄せ下さる様お願いします。


     〈 ヒルティ略年譜 〉 

1833年 2月28日ヴェルデンベルグの祖父の家で生まれる。
1847年 母エリザベート死去
1854年 ハイデルベルク大学卒業。両法(公民法と教会法)学博士の免状を受ける。
      郷里にて弁護士を開業。
1857年 ヨハンナ・ゲルトナーと結婚。
1858年 父ヨーハン・ウルリヒ・ヒルティ死去。
      長女マリー生まれる。
1865年 キリスト教信仰への決断を得る。
1874年 ベルン大学法学部教授に就任。
1886年 「スイス連邦共和国政治年鑑」を編纂。
1890年 ヴェルデンベルグ地区より連邦国民議会下院議員に選出され、以後死ぬまで代議          士を務める。
1891年 『幸福論 第一巻』
1895年 『幸福論 第二巻』
1897年 妻ヨハンナ死去
1899年 『幸福論 第三巻』
1901年 『眠られぬ夜のために 第一巻』
1902年 ベルン大学総長に就任。
1909年 ジュネーブ大学より名誉法学博士の称号を受ける。
      10月12日心臓麻痺のため死去。
1910年 『キリストの福音』
1919年 『眠られぬ夜のために 第二巻』 (マリー・メンタ夫人編)

2012年4月9日月曜日

       十二、   ヒルティの読み方                                   P.25

  まず、拙稿一章から十一章までのヒルティの著書からの引用箇所を集計してみますと、
      「幸福論第一部」            0
      「 同  第二部」           15
      「 同  第三部」           10
      「眠られぬ夜のために第一部」   11
      「 同          第二部」    6
となります。見てお分かりのとうり、「幸福論第一部」つまり、「幸Ⅰ」からの引用は皆無です。その理由は「幸Ⅰ」には内容的にヒルティあるいはキリスト教の本質的な部分に触れる箇所が見られないということではないかと思います。少なくとも私にとってはそうなのです。つまり、私が「幸Ⅰ」から学んだあるいは影響を受けたということは殆どあまり、ないと言うことになります。
「幸Ⅰ」の内容は「仕事の上手な仕方」や「時間の作り方」などエピクテトスも含めて現世を生きていく上での処世訓的なものが多くを占めているように感じます。勿論、ヒルティも

    『仕事は人間の幸福の一つの大きな要素である。』(幸Ⅰ222頁)、

    『キリスト教は生活さるべき一つの生命である。』(夜Ⅱ1月十日)

と言っているように現世での日常生活のありかたというものは大切なことです。
また、「幸Ⅰ」の後半ではキリスト教の信仰についても深い洞察を示しています。しかし、それはまだ、ヒルティそしてキリストの教えの真髄についての言及にまでは至っていません。その真髄とは「艱難辛苦の中にある人を救い(回心)に導く教え」つまり、「福音書」にある「聖霊」、「魂の永遠性」、「復活」、「神の宿りによる真の幸福」等の言葉に満ちた教えです。これらの言葉は「幸Ⅰ」には殆ど見られないのです。

 私が思うに「幸Ⅰ」は「幸Ⅱ」、「幸Ⅲ」へ導くためのプレリュード(前奏曲)のようなものではないか、そしてそれはヒルティの意図したことなのかもしれません。
あるいは「幸Ⅰ」と「幸Ⅱ」の刊行された間(1891-1895の4年間)にヒルティに大きな心境の変化があったのかもしれません。
ですから、ヒルティの読み方として「幸Ⅰ」だけを読んでヒルティを学んだと思うのは早計であり、誤解につながりかねないということです。一流の学者先生でさえこのような読み違いをしているのです。
読む順として「幸Ⅰ」よりまず「幸Ⅱ」、「幸Ⅲ」を先に読むということを私はお勧めしたいと思います。また、ヒルティも言っているように「聖書」を脇に広げておくとより理解が深まるかと思います。

 「眠られぬ夜のために」の方はこういう問題はないので毎日一章ずつゆっくり読んでいけばよいと思います。

2012年3月28日水曜日

     十一、 ヒルティを生きる ― 「人生観のコペルニクス的転回」の達成         P.24

 そして、これまでのあらゆる疑問が氷解していき、ついには全てを理解するに至ったのです。この世に生を受けたときから神の愛に包まれていたこと、これまでのあらゆる艱難辛苦は人生最高の目的を達成する為に神が私に与え給うた試練だったということ、等などです。

長年、不可解だったヒルティの言葉の一つ一つが心に染み込むように理解できるようになったのです。今、書いていること自体私一人でなく、何かにそう、『人間生来のあらゆる力に優るある大きな力』に包まれて書いているように感じるのです。
そして、今の私の心境を箇条書きにして披瀝させていただくと、

 1、 心の中にこれまでとは全く異なる高貴な存在の宿りを感じる。そのために心が光で溢れ、平  安で幸福な感情に包まれることが多い。一人暮らしをしていても、孤独感に襲われることがな   い。
 2、 あらゆる生命あるものに友愛、慈愛の心で接することができる。老人、子供、貧しい人、病    人、弱い人から動植物、昆虫に至るまで。
 3、 仕事、家事等生活のあらゆる面で真剣かつ、積極的に取り組むことが出来る。
 4、 人を恐れる気持ちが希薄になる。
 5、 死への恐怖感が薄れる。むしろ、親しみを覚える時さえある。魂の永遠性というものを実感  する。
 6、 真実の自分を感じる。
 7、 精神と肉体の健康に溢れていることを感じる。

まさに、「今、ヒルティを生きている。」という実感です。自分の変貌振りに我ながら驚嘆するばかりです。50年間「生まれてこなければよかった」と嘆き続けてきました。しかし、「生まれてきて良かった。」これも今の実感です。なんと言う違いでしょうか。ここに「人生観のコペルニクス的転回」が達成されたと言えるのかもしれません。
以上、けして自慢話をしているわけではなく、私のようなどうしようもない人間でも新たに生まれ変わることが出来ることを知って欲しいと願うだけです。

         『 いたずらにあなたを苦しめるために
          苦難があたえられたのではない。
          信じなさい、まことの生命(いのち)は
          悲しみの日に植えられることを 』  (「夜Ⅰ」3月15日)
   十、 の続き                                            P.23

  先日は失礼致しました。自分のことを振り返り、しかも書き留めるとなるとなかなか辛いものがあります。ヒルティ先生でさえ具体的な信仰体験は一切書き残していないようです。(第二章参照のこと)

私の人生は物心ついて以来、恐怖、失望、屈辱、挫折、意気消沈に満ちたものでした。
何をやっても裏目にしか出ない、高校時代神経症に陥った時、世界に冠たると言われた入院療法を数度にわたって受けても効果を得られなかったことが私の艱難辛苦の始まりでした。

何とか大学を出て社会人になったものの、常に仕事や人間関係のトラブルに付きまとわれ、挫折を繰り返してしまうのです。そして、私は不幸を周囲に撒き散らす酒飲みの疫病神のような存在と化していきます。今思うと、荒れ狂う自分の心を麻痺させるための飲酒だったように思います。奇人、変人視され、また人から恨まれ、また人を恨んできました。悲惨と屈辱のなかで半世紀にも渡って心の彷徨は続きました。私は生まれながら大きな心の十字架を背負っているようでした。

口癖は「生まれてこなければよかった。生まれてきたことが間違いだったのだ。」
それでも死ななかったのは心のどこかに「いつかは救われる。」とのかすかな希望があったからでしょうか。聖書や仏教書を読み、また禅の接心会にも参加したりしました。(しかし、洗礼は受けていないし、クリスチャンとは言えません。)そういう中で出会ったのがヒルティの著作でした。日夜読みふけりましたが、なかなか理解できず、心は荒れ狂うばかりです。

  このような私の心に奇跡が起こります。とっくに還暦をすぎていました。
ある肌寒い夕方、孤独と悲しみに打ちひしがれながら部屋の雑巾がけをしていたとき、神の光が私の心に差し込んできたのです。この時から、この世で最高にして、最大、最強の高貴な生命体の宿りが私の心の中にはじまったのです。半世紀にもわたる艱難辛苦の集積が強力なエネルギーと化し、心の重い扉をこじ開けたのかもしれません。

( まだ続きます )

2012年3月26日月曜日

   十、 ヒルティと私                                         P.22

 「わたしは虫けら、とても人とはいえない。
人間の屑、民の恥。
わたしを見る人は皆、わたしをあざ笑い
唇を突き出し、頭を振る。
・ ・ ・ ・ ・
母の胎にある時から、あなたはわたしの神。
わたしを遠く離れないで下さい
苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。」(詩篇22-7~12)

屈辱、嘲笑を受け続け、悲哀に満ちたダビデの苦難の人生は読むたびに私(筆者)の人生と重複してしまいます。
私も似たような人生だったからです。高校に入学したころ神経症に陥ったことが私の艱難辛苦の人生の始まりでした。

ここまできて文章が進まなくなってしまいました。自分の過去を振り返るうちに、色々な思いが錯綜して考え込んでしまったのです。申し訳ありませんが、少し、整理する時間を下さい。
今日はおやすみなさい。




2012年3月25日日曜日

   九、 ヒルティの慧眼                                        P.21

  ヒルティは時代の風潮に流されるようなことはけしてなく、時代の脚光を浴びているような思想に対してもその正体を見透す鋭い眼力を持っていました。
特に、当時既に台頭していた社会主義に対して容赦のない批判を下しています。社会共産主義は20世紀に世界中を席巻し、一時は飛ぶ鳥をも落とすような勢いでしたが、その内部矛盾から崩壊していきました。

今日では社会主義は過去の遺物となり、社会主義ではもはや国家は成り立たないと言うのが世界的常識となってしまいました。
ノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフ元ロシア大統領がアメリカ議会に招かれた時、「共産主義の実験は失敗した。」と事実上の共産主義の敗北宣言をしたことはまだ記憶に新らしいものです。

ヒルティが一世紀以上も前に社会主義に対する明確な批判を下していることは驚くべきことではないでしょうか。当時の諸国民がヒルティの警告を素直に受け入れていたなら、その後の社会、共産主義諸国の悲劇は避けられていたでしょう。

  『社会主義の最も厭うべき点は、社会主義が嫉妬を人間行動のバネにしており、また実践活動においてもそれを信奉者に教え込んでいることである。嫉妬は人間の本性の一番悪い性質である。』
(「夜Ⅱ」 6月17日)

階級闘争はその最たるものでしょう。

  『聖職者達が社会主義に心を寄せるのは大きな誤りである。なぜなら、社会主義では徹頭徹尾、無神論であり、したがって祝福と繁栄を伴わないからである。』 (「夜Ⅱ」5月6日)

ロシア革命や中国文化大革命等においていかに多くの人々が殺害されたかを私達は忘れてはならないでしょう。その中には無数のキリスト教徒も含まれています。社会主義国家の国民は聖書はおろか、ヒルティの著作さえ紐とくことは困難と思われます。

  『社会的改革は内的変化に基づくものでなければならない。一切の仕事が神を離れては困難であり、神と共にあれば一切が可能である。これが即ち、社会主義とキリスト教との違いである。』
(「幸Ⅲ」277~278頁)

これこそ慧眼というものでありましょう。

2012年3月24日土曜日

    八、 自殺願望者へ                                       P.20

  『外的生活においては、償いがたい損失とみなされるもの、即ち、「破滅した存在」とかいわば生涯の設計全体にわたる裂け目といったものは、内的生活から見ればけして損失ではない。かえってそれは、キリストへの信仰が最も良く栄える地盤である。まさしくこのような状態にありながら絶望し、自分がどんなに救いに近づいているかを悟りえなかった人々こそ、あらゆる人間の中でもっとも哀れむべき人々である。』 (「幸Ⅱ」317頁)

 日本における自殺者数は13年連続で3万人を越えるそうです。この人々は本来ならば、ヒルティの言う「神の学校」つまり、『次の存在のための学校』に入学するに値する人たちと言えます。
そして、苦悩という教師に厳しい教育を受けて魂の成長を果たし、『真の教養人』となって、世の中核となりうる人たちでした。しかし、そうはならず『あらゆる人間の中で最も哀れむべき人々』となってしまいました。それはなぜて゜しょうか。

それは『そのような気の毒な道をたどりつつある人々にむかって、誰も一度も真理を語ってやることがなかった。』(前掲に同じ)からです。
現在、関係者をはじめとする多くの人達が自殺予防のために取り組んでいるようですが、その効果はなかなか現れないようです。神学校や大学で教義や理論を学んだだけの神職、僧職や心理療法家ではやはり何か足りないのです。せめて誰か一度だけでもヒルティの著作の中から苦悩と死の意味を語り聞かせられたらと心から悔しく、残念な思いに駆られてしまうのです。

  『自分で死にたがるのは人生の困難を逃れようとする不誠実な手段である。
・ ・ ・ ・ ・ ・
自分勝手な死によって、恐らく人生はけして終わってしまったわけではなく、、その後に別の、たぶん遥かに困難な生活が続くであろう。もしそうだとすれば、どんな場合にもわれわれはこの生を勝手に断ち切ることは出来ないのである。』 (「夜Ⅰ」11月1日)

 自殺は内なる神性の抹殺であり、神への冒涜の最たるものといえるかも知れません。心の奥底にある「宝玉の如き心」を掘り出すことなく、自らの命を絶つなどなんともったいないことではありませんか。第一章のヒルティの言葉を思い出してください。

ダンテの「神曲」には自殺者の霊がたどる悲惨な光景が描かれています。彼らは真っ暗闇のなかをたった一人でしかも、永遠に彷徨い続けなければならないのです。その時、「しまった」と後悔してももう手遅れです。

なんとしても自ら命を絶つことだけは思いとどまり、神への道を目指すべきです。何十年かかろうといつか必ず回心(悟り)に辿り着くのだとの力強い決意を持つこと。なにより、「忍耐」が必要です。そして、悪による死への誘惑を断固拒否しつづけることです。

自慢じゃありませんが、かく言う私(筆者)は心に「神の光」を見出すまで無明の中を彷徨うこと半世紀、50年近くかかりました。人生というものはそれだけ苦労する価値があるものなのです。生命の永遠性を考えれば、50年などほんの一瞬かも知れません。

  『この世の最大の力とは国民の数や兵力や富ではなく、神の霊にすっかり満たされた個々の人格であり、これは一国にとって、何物にも代えがたい価値を持つものだ。』(「夜Ⅰ」5月28日)

絶望の真っ只中にいる数万の自殺願望者が「永遠の神の光」に目覚めて、回心に至れば国家を大変身させることも出来るでしょう。


    七、の(二)                                                                                                        P.19

 前述した瓏仙老師の言葉は諸宗教が追い求めるべきものが究極的に普遍的、実存的真理に帰するということを示唆しているように思われます。つまり、「聖霊」も老師の言う「宝玉の如き心」もヒルティのいう「超感覚的世界の存在」、あるいはまた、「人間生来のあらゆる力に優るある大きな力」に通じるものでしょう。それは宗教、宗派を超えたものです。それは前章「ヒルティと禅」で私が訴えたかったことでもあります。

 アポロ9号の宇宙飛行士シュワイガート氏は宇宙空間での神秘的体験を語っています。その時感じた不思議な力をライフフォース(生命の力)と呼んでいます。そして、「地球も宇宙も大きな生命体、その生命は地球を包み、地球に生息する全ての生命力に吹き込まれている。」と語っています。
これこそキリスト教、仏教など諸宗教が追い求めるべきものではないかと感じるのです。それは「至高の意思を持った宇宙に隈なく存在する普遍的真理」とも表現できるかと思います。

宗教というものはこのような普遍的真理を山頂とする山登りにも例えられましょう。その山頂へ至るコースはキリスト教コース、仏教コース、回教コースなど多彩であり、さらに無数の宗派に分かれています。登山者(信者)は目指す山頂は同一であるはずなのに、自分達のコース(宗教あるいは宗派)こそ唯一無二絶対正しいと信じているので、争いが生じます。それが有史以来飽くことなく続いてきた宗教戦争です。これほど愚かなことはないと思います。戦争まで至らずともほとんどの登山者(信者)は頂上を見失って、コースをはずれ挫折してしまいます。

他の宗教も認めるという広い視野が求められましょう。それは「無宗教の宗教」というものでありましょうか。ヒルティはそこまでは言ってませんが、ヒルティを学んでいくとそういう考えに行き着くのです。

 『実に神の近くにあることこそ、あらゆる宗教の、真に唯一つの重大事である。』(「幸Ⅲ」208頁)

( 次の八章では「自殺」のことを考えて見ましょう。 )

2012年3月23日金曜日

   七、 真の宗教とは ― 宗教、宗派をこえて                                                           P.18

  『キリスト教こそ、貧しい者、虐げられた者のための、世にある限り最上の世界観を含んでいる。』
(「夜Ⅱ」5月6日)

 ヒルティはキリスト教を唯一無二、至上のものとして信仰し続けましたが、一方でキリスト教会の存在価値は認めつつもこの教団は 『その創始者の思想に完全に適合した正しい完成に達したことがまだ一度もない。』 (「夜Ⅰ」3月8日)とし、また、聖職者達が教条主義、形式主義果ては偽善にさえ陥っている教会の現実に警鐘を鳴らし続けました。そして、人を仲立ちとしないで、自己がキリストと直接に対峙することこそまことのキリスト教の道であると説いたのです。 

  『ただ神とだけでいることが重要であり、他の人達と絶えずいることは、彼らを真の自己反省に導かない。これが、ひどく過大に見られがちないわゆる「キリスト者の交わり」に生じる欠点である。』    (「夜Ⅰ」8月10日)

毎週末教会に行って説教を聞き、祈りをささげ、讃美歌を歌ってのち談笑のなかで信者同士の親交を深める。そのようないわば仲良しグループのような集まりでは真の内的進化は望めないということでありましょう。  

  『要するに肝心なことは教理ではなくて、むしろキリストに捧げる愛と生活であり、これを通じてわれわれをただ一人でもまことの真理に達しうると言うことを承認する信仰である。』 (「夜Ⅱ1月20日)

また、『キリストの神性について議論することは全く無益なことである。』 (「夜Ⅰ」9月8日)とし、三位一体説に対しても『理解不可能なものであり、単なる比喩に過ぎない』 (前喝に同じ)とも断言し、不毛な神学論争を諌めています。このようなヒルティの言葉をみてくると、教団も教会も聖職者の説教も真の救いのためにはむしろ、障害であるかのように思われてきます。
では本当の宗教とは一体どういうものなのでしょうか。もう少し、考えて見ましょう。

( 続きます )

2012年3月22日木曜日

                                                                                                                          P.17

 次の言葉も禅の精神に通じるものがあるように感じます。

  『信仰に生きることはすべて他の大きな危険の多い事業と同様である。しばしば危機一髪の瞬間には、もはや退けないと言う意識の方が、最大の勇気や理論的に完全な確信よりも、一層力強いものであり、また人を強くするものであるということが分かる。』 (「幸Ⅲ」115頁)

 沢庵禅師は「間髪を入れない動きこそ仏教の極意だ。」(「禅入門 8 沢庵 不動智神妙録」 市川白弦 講談社)と言っています。人は人生の迷妄のなかにある時には寝ても覚めてもあれやこれやと思い悩み苦しみます。しかし、こうした煩悶が去った時、珠玉のものが出てきます。この「煩悶が去る」ということは間髪を入れない動きの中に出て来るのです。

ヒルティがもし、東洋の禅に触れる機会を得ていたならば、深い理解を示していたのではないでしょうか。

( 第七章へ続きます )

2012年3月21日水曜日

    六、 ヒルティと禅                                                                                       P.16

  ヒルティの言葉の中に東洋の禅との類似点を見出すことは興味深いことです。例えば、

   『生死の境に至れば人は必ず彼を見出す。それを自分で体験した者は彼こそは人がやはり思い出す最後のものであることを知っている。』 (「ヒルティ著作集9白水社 前掲141頁)

ここで言う『彼』とは無論、『神』のことでしょう。次は曹洞宗の開祖道元の言葉で曹洞禅の真髄を表現しているといわれます。

 「この生死(しょうじ)はすなはち仏の御命なり。これを厭いて捨てんとすれば、仏の御命を失わんとするなり。これに止まりて生死に着すれば、これも仏の御命を失ふなり。
厭ふことなく、慕うことなき。この時初めて仏の心に入る。ただし、心をもてはかることなかれ。言葉をもて言ふことなかれ。ただ、わが身をも心も放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏のかたより行われて、これに従いもて行く時、力をも入れず、心も費やさずして、生死を離れ仏となるなり。」
                                                                                      (「正法眼蔵 四」岩波文庫)
  パウロが回心にいたる直前は今日で言えば重度の神経症(ノイローゼ)状態にあったと言えないでしょうか。この道元の言葉はあたかもパウロが神経症的とらわれから脱却し回心(解脱)にいたるプロセスを解説しているかのようです。道元の言う「生死」とは神経症を含むあらゆる人生苦を指しており、またヒルティの言う「生死」もほぼ同じ意味と言ってよいでしょう。
神経症の症状は取り除こうとすればますます増大し、かといって追従していっても同じ結果を招くのみです。
 パウロは万策尽きて、どうすることも出来ない、どうにもならない。しかし、パウロはその時それだけになっていきます。つまり、あらゆる自己を放棄し、心の枷を取り外した時に始めて「神(仏)のかたより行われて」パウロの魂に神(仏)の宿りが始まったのです。それが回心(悟り)となっていったのです。そこには仏教もキリスト教もなく、唯一無二の前述した「大宇宙に存在する普遍的真理」が存在するのみでありましょう。

  神経症をはじめとするあらゆる人生苦から来る不安感、恐怖感、孤独感、絶望感等の負の感情は人間を恐れおののかせ、暗い穴倉へ閉じ込めていきます。しかし、自我の全てを放棄し、神(仏)にすべてを委ねた時、自分の魂の中にこれまでになかった全く新しい、しかもこの上なく高貴な存在が現れてくるのです。それこそが「聖霊」であり、また「死人をよみがえらせてくれる神」というものでありましょう。その時、初めて人は安心立命の境地に至るのです。

 感情は人間が生きている証です。だから、正負どちらの感情からも私達は逃げることは出来ません。しかし、艱難辛苦を通して聖霊の宿りを得たとき、神の光はあらゆる負の感情を凌駕します。しかし、それは負の感情が駆逐されるということでなく、さして気にならない存在に追いやられるということです。
不安や恐怖といった感情の奥底には死に対する恐怖感が存在すると言われます。しかし、三章で触れたように「死の正しい意味」を知った時、死に対する恐怖感は克服され、他のあらゆる負の感情もどうでも良い存在に追いやられることになります。

                                                      (続きます)


2012年3月20日火曜日


   五、 ヒルティの感銘深いエピソード                                                                     P.15

  ヒルティの良き友人であったケラー師の証言
「私が最後に-彼の死ぬほぼ半年前-彼を訪れた時、彼はひどいロイマチスに悩んでいました。辞去する時、私は彼の手をかたく握って〈主があなたのご病気を和らげてくださるようお祈りいたします。〉と申し上げると、彼はほっそりとした指で私の手を取り、真剣な面持ちで言われました。

  『それはいけません!あなたは私どもの主があなたのお祈りを聞いて特別のお恵みをたれて、私からこの苦しみを取り上げて下さると思っていらっしゃるようですが、それはお断り申し上げなければなりません。十日間のロイマチスの苦痛は、私の内なる人間のために私が聞く十の説教よりも、或いは私が読む全ての書物よりも、ずっと薬になるのです。どうぞ、私の苦痛を気になさらないで下さい。』と。私たち神学者は、この法律家から教えられることがたくさんあります。」
(A.シュトゥッキ 国松孝二・伊藤利雄訳「ヒルティ伝」108頁 白水社2008年)

このエピソードの中でヒルティは自身の次の言葉を身をもって実証したものと言えましょう。

 『苦悩の本来の目的は、ただ苦悩によってのみわれわれは神の近くにいることに慣れ、常に神のそば近くにいることを感じることができるという点にある。』
(「幸Ⅱ」 329-330頁)
 『神と共にあって苦しむことは、神なしに生き、まして神無しに苦しむよりも、つねにまさった運命であるという思いをたえずはっきりさせておかねばならない。』  (「幸Ⅲ」 139頁)

 『辛い試練や意気消沈はいつも新しい、より大きな浄福と神の力が加えられるための入り口である』                                 (「夜Ⅰ」十一月六日)

                                                     (次の章へ続きます)


     四 の(二)   V.E.フランクル                              P.14
                                                                                                                                                                                                                                                                                    
 同様の事実はV.E.フランクルという精神医学者がその著書の中で第二次大戦中アウシュビッツ強制収容所という極限状況の中においても見られたことを証言しています。

 「私は強制収容所で以前から知っていた若い女性と一緒になりました。収容所で再会した時、彼女は惨めな境遇にあり、重い病気で死にかかっていました。そして自分でもそれを知っていました。けれども、死ぬ数日前にこう明かしてくれました。
〈私はここに来ることになって、運命に感謝しています。以前何不自由のない生活を送っていた時、たしかに、文学についていろいろと野心を抱いてはいましたが、どこか真剣になりきれないところがありました。でも今はどんなことがあっても幸せです。今はすべてが真剣になりました。それに本当の自分を確かめることができますし、そうしないではいられないのです。〉
こういった時、彼女は以前私が知っていた時より、はればれとしていました。
彼女はその時リルケがあらゆる人に求め、望んだことができたのです。つまり、〈死を自分のものにできること〉に成功したのです。いいかえると、死までも全生涯の意味に組み入れ、死によってさえ、生きる意味を実現することがほんとうにできたのです。」  (V.Eフランクル 山田邦男・松田美佳訳「それでも人生にイエスという」 春秋社1993年 79~80頁)

もう説明は要らないと思います。 この例からも「魂の永遠性」というものが真実味を帯びて迫ってきます。
今、手元に「遺愛集」と言う一冊の歌集があります。これは一死刑囚の遺した短歌集ですが、その中の三首をご紹介させていただきます。(島秋人 「遺愛集」東京美術)

    悟(し)ればなお愛しさ湧きていのちとはかくも尊きものとしらさる

    身に持てる優しさをふと知らされて神の賜る命と思ふ

   笑む今の素直になりしこのいのちあるとは識らず生かされて知る (処刑前夜の歌)

 短歌を通して良心に目覚めて行く心の過程がひしひしと感動的に伝わってきます。
曹洞宗永平寺の管長だった瓏仙老師というひとは「如何なる人にも潜在的に秘蔵している宝玉の如き心があり、修行によってそれを掘り出すことが悟りである。」と言っています。
不治の病の青年、収容所の女性、死刑囚の歌人、また仏教における悟り、いづれも救いに至るその過程はキリスト教でいうところの回心の過程とほとんど全く同じではないかと思えてならないのです。それはあらゆる宗教宗派を超えた大宇宙に存在する普遍的真理というようなものではないでしょうか。

  『来世では現世で非常に軽視されてきた人々が有名な教父たちや現世で聖者とみなされていた人々よりもしばしば高位におかれ、、また先進していることも充分ありうるのである。』
                                        (国松孝二他訳 「ヒルティ著作集8」白水社1979年)

  『教理を知らないでもクリスチャンである者が少なくない。キリスト教は証明さるべき教義て゜はなく、生活さるべき一つの生命である.』 (「夜Ⅱ」1月20日)
  これでお分かりいただけたでしょうか。このように、栄光や名誉のみならず、学歴も学識も肩書きも家柄も全く関係ないのです。
長年、教義の学習や研究にあけくれてきたにもかかわらず、多くの知性も教養も豊かな聖職者達がその利己心が障壁となって、回心に辿り着けないことから、焦燥感或いは懐疑に陥っているという教会の現実をヒルティは嘆いています。その結果、形式主義、偽善、空理をもてあそぶ不毛の神学論争に陥る実態は今もあまり変わりはないでしょう。このようにいわゆる「偉い人」が必ずしも偉いとは限らないのです。

  『御霊は風のように思いのまま吹き、随時、その器となるべき人間を自ら探し出すのである。」                                            (「夜Ⅱ」7月14日)

御霊(聖霊)はいかなる人の魂に宿ろうとしているのか良く考えてみるべきです。

                                             (第五章へと続きます)





2012年3月19日月曜日

   四、 如何なる人も回心に至りうる。                                                                   P.13

 「やはり、よほど優秀で卓越した人でないと回心や悟りに至ることは出来ないのではないか。私などには別世界の話だ。」との声が再び聞こえてきそうです。
しかし、それは大きな誤りです。

 ある世界的な物理学の権威と言われる人が著したヒルティについての本があります。私は期待を込めて読み始めましたがすぐに失望に陥りました。確かにこの著者はヒルティを論じていますが、それはヒルティの一部にすぎません。しかも、最も本質的で内面的な部分には全く触れていないのです。
世界的物理学者という影響力を考えると、その真髄に触れることなく、ヒルティを論じる書を著していることはどうかと思わざるを得ません。これでは正しいヒルティ像とその教えが世に伝わりません。
 いかに優れた物理学者とはいえ「魂の永遠性」とか「人生の最大幸福は神と共にあることだ」等と言っても体験がなければ真の理解は困難なことと思われます。回心は科学的、論理的に証明できるものではなく、理解できないから避けているのだと思われてもしょうがありません。

 この世で名誉や栄光を受けた人が必ずしも神の祝福を受けるとは限りません。「山上の垂訓」(マタイによる福音書5-1~12)にあるように、真実神の光を受けるに値する者は心の貧しい人、悲しむ人、義に飢え乾く人、義のために迫害される人等この世での名誉や栄光には無縁の人たちです。運命に打ちひしがれ、打ち砕かれ常に意気消沈に喘ぐような人たちもしかりです。そのような体験を通して始めてヒルティの言葉は理解できるのです。最近ではある高名な大学の先生がヒルティについての著書を出していますがこれも期待はずれでした。同じく避けているとしか思えません。この人は日頃尊敬している人でもあったのでずいぶんがっかりしたものです。

  『あらゆる人が、学問のあるなしに関わらず、老人でも、若者でも、男でも女でもみなこの霊を受けることが出来る。この霊は人間の間に少しも外的な差別を設けない。』 (「幸Ⅲ」297頁)

キリストは「むしろ、バカになる方が身のためです。天からの真の知恵を受け取る妨げにならないためです。」(コリント人への手紙Ⅰ 3-18)とさえ言っています。そのとうり、この世の知恵と知識は神に至る道には必要ありません。

  『真のキリスト教は現代に至るまで、おそらくただ個々の人々、しかもたいてい世に知られなかった人々においてのみ充分な実を結んだ、と信じたい強い誘惑にしばしば駆られる。』 
(「夜Ⅰ」3月8日)

ヒルティ自身、犯罪人たちが、自殺の境までおいやられた絶望から突然、魂の平安に達し、それから後、重い懲役生活を充分耐えうる、否それどころかそれを当然負うべきものと思うに至ったというような例を見たことを告白しています。 (中沢洽樹訳「ヒルティ著作集9」白水社より)

                                    〔 続きます 〕




2012年3月18日日曜日

    三 の(三)                                                                                         P.12

生の終焉であったはずの死が新たな生の門出となるなどとは外的な感覚ではとうてい理解しがたいことです。聖書の言葉は知性や感覚によってではなく、神の霊と共にあって初めて真の理解に達するということでありましょう。

「生命はただ死からのみ。あらゆる進歩はそれまで生きてきたものとの絶縁から始まる。」
(ルカ書14-33)

不治の病の若者の心境を表して余りあるキリストの言葉です。
ヒルティは死について言葉を変えて説明してくれます。

  『生命の存続の希望を持ちうる場合のみ、死はやさしくて厳粛な使者であって、疲れた旅人にその旅路の終わったことを告げ、一歩一歩骨折って登ってきた山頂から、やがて間もなく、広々とした新しい世界を展望しうる時が近いのを知らせてくれる。』 (「幸Ⅱ」218頁)

  『死は我々が考えるより、ずっと些細なできごとであり、また、その正しい意味を理解すれば、ずっとどうでもよい事柄だといえよう。』 (「幸Ⅱ」234頁)

トルストイは死が近づいてくる時の実感についてつぎのように語っています。

「死は私にとって恐ろしさを失い、私は死が生のエピソードの一つであり、生は死によって終わるものではないという認識に日毎に近ずいた。」 (「夜Ⅰ」11月1日)


― 続きます ―
        三の(二)                                                                                                      P.11

  新たな人生の実感こそイエス・キリストが示した「復活」に通じるものでありましょう。キリストは「まことの救い」を身をもって世に示し、二千年にわたって人々に「愛と希望と光」を与え続けたのです。

  『復活は「イエスの死はこの地上の外的生活に対する死にすぎなくて、本当は新生であった。」ということの神の側よりする証明である。』 (中沢洽樹訳「ヒルティ著作集9 悩みと光」白水社 344頁)

 「私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる。生きていて私を信じる者は決して死ぬことはない。」 (ヨハネによる福音書11)

 「永遠の命とは唯一のまことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります。」 (ヨハネによる福音書17-3)

この二つのキリストの言葉の中にはキリストの教えのすべて、またヒルティの思想のすべてが濃縮されていると言っても過言ではありません。
  『イエス・キリストを知る』と言う意味は、人間の魂の中に聖霊の宿りを得るということでありましょう。

  『本来この新しい生命はこれまでの生命に属してないゆえ、この古き生命と共に死ぬことはあり得ない。これは永世について与えうる唯一の説明であり、この霊を持つ者はこの世の生命を疑わない と同様に、永世を疑うことはできないであろう。』 (「幸Ⅲ」342頁)

  『神への愛は,この世の生命を越えて、無限に高まることのできるものである。この霊は永世に対する唯一の、全く確実な保障でもある。』 (引用箇所が不明ですが分かりしだい記入します。)

次はネットにあったある不治の病に冒された若者の言葉です。

 「僕は重い心臓病のために主治医から余命あと5年と宣告を受けている者です。初めは取り乱しましたが、今は死ぬのが楽しみです。毎日充実した生活を送っています。皆さんも与えられた人生を普通に全うしましょう。
余命がわかると人生観がガラリと変わります。他人の幸せが自分の幸せのように感じます。」

 「死ぬのが楽しみ」などという言葉はめったに言える言葉ではありません。
この若者はおそらく「死の恐怖との戦い」という煩悶地獄を乗り越えて神への道に至る扉をこじ開けた後、聖霊の宿りを受け、安心立命の境地に達したのではないかと思われます。
そしてそれは新たな人生の始まりであり、おそらく「生命の永遠性」の確信にまで至ったのではないでしょうか。それはキリストが示した「復活」につながるものです。


― 続きます ―







    三、永遠の生命 ― 「復活」の意味するもの                        P.10

 回心の体験の中で最も感動的で心を打ち振るわせるものは自分の魂の中にこれまでとは全く異なる高貴な存在の宿りを感じる時です。新しい、全く別の生命力が自分の内に始まっているのが分かるのです。

  『神の近くにあるという喜びは、あらゆる人間的感情の中でとりわけ強烈なものである。つまり、この感情はそれが人の心を完全に満足せしめるばかりでなく、またあらゆる制限から精神を開放し昂揚する効果の点で、友情や恋愛やその他の感情とはとうてい比べものにならないほど強いのである。』 (「夜Ⅰ」5月11日)

 しかしながら、神の霊が人間の魂に宿ることによって人生最高の目標に到達したとしても、晩年に回心に至ってはたいして意味がないのではないか、という疑問が出てこないでしょうか。
これに対し、ヒルティはそうではなく、霊的生命は生き続けると説いていきます。

  『あなたは現実にあなたがそうであるところのこのようなものを考える存在がまもなくしかも永遠に存在をやめると信じることが出来るか。私は否(ノー)と主張する。』 (「夜Ⅱ」4月14日)

  『老いを経るごとに、体力の衰弱、視力や体力の減退、日常時の記憶や興味の減少に伴って道徳的な諸力がさらにはより高い、はるかに優れた霊的生命がけして衰えるものではないことに直ちに気付くであろう。それどころかこの不滅の霊が一旦人間の内部に宿る時は、最後までやむことなく、その力を増していくものである。』 (「幸Ⅲ」41頁)

 そう、神の宿りの体験は精神的には光溢れる安心立命感を与え、肉体的には慈愛に満ちた行動力を与えます。そして、心底、「救われた」と実感させるものです。さらに、たとえ、高齢であったとしても、年齢に関係なく、新しく高貴な霊の宿った自分の魂の永遠性を確信させるのです。

  『老齢によって生命力は自然に衰える場合でさえ、依然として絶えず増していく霊的な力は、その老年期をもほとんど気付かぬうちに越えて、ついに新しい生命に入るまで、人を高めていくのである。』   (「幸Ⅲ」175~176頁)

たとえ、自分の人生の殆どが終わってしまったと思っている高齢者でもそれまでの艱難辛苦の集積が強力なエネルギーとなって、回心に至ることは充分可能です。その時、彼は全く新しい高貴な存在の宿りを経験することによって、自分の人生が新たなスタート地点に立ったことを実感するでしょう。それがどれ程の感動、励まし、慰めをもたらすものであるかは経験して初めて理解できることです。さらに、「自分は救われたのだ。そしてこれは永遠に続くに違いない。」と確信できるようになります。
                                        (この章はまだ続きます。)
P.9

  『苦難をもって果てしなく長く続く尊続する生涯のための不可欠の教育手段と見るならば、苦難にあずかっている人もこれを迎え入れる理解を見出しえよう。』
                                             (国松孝二他訳「ヒルティ著作集8 悩みと光」309頁 白水社)


 ヒルティ、パウロ、ダビデそしてキリスト、彼らの人生に一貫しているのは教義や理論を通してではなく、実際生活の中で遭遇する艱難辛苦を通して真理に到達したということです。
単なるキリスト教義の学者や研究者或いは教義至上の司祭達が真理に到達するのが困難だといわれるのはこのような体験がない、あるいはあっても乏しいという理由からでしょう。
次のヒルティの言葉は回心への過程と行き着くべき心の世界を示しています。

  『神の慎重な、ゆるやかな導きは自らそれを経験しない限り誰もが信じがたい、最も不思議な経験の一つである。それはいつも苦痛と不安を通して行われるのである。
人は絶えず、自分の所有する一切のものを捧げ、特にこれだけは本当に自分のものと言える自己の意思さえをも神に委ねる覚悟をしなければならない。そうすると突然、新しい段階が開けてくる。この段階に立つと自分の過去の歩みがはっきり分かり、特に、自分が幸福な道を選んだこと、そして、いまや一つの新しい自由が、しかも永遠に増し与えられたことが明白になる。
 というのは、神の導きの道においては一度過ぎ去ったことは再び繰り返されることがないからである。』(夜Ⅰ6月1日)

  『われわれは多くの人生経験を積むことによって、全く苦難のない生活をもはや願わないと言う心境に達する。これが「永遠の平安の状態」である。この地上では苦難こそがわれわれの悪い性質から我々を守ってくれる変わりない番人であり、その上、苦難がなければ更に耐え難いであろう生活の単調さをも破ってこれを元気付けてくれるものである。』(夜Ⅰ8月31日)

「私の教えは自分の教えではなく、私をお遣わしになったなった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は私の教えが神から出た者か、私が勝手に話しているか分かるはずである。」
(ヨハネによる福音書7-16、17)

「この方の御心を行う」と言う意味は神の教えを研究、議論することでなく、日常生活の中で神の道を実践、体験していく、そして、そういう中で神の教えの理解が深まっていくと言うことだと思います。
次の章ではパウロの言葉「死人をよみがえらせてくださる神」、ヒルティの言葉「この次の存在」とはどのような意味なのか。関わるテーマとして「魂の永遠性」あるいは「永遠の生命」ということついて掘り下げてみましょう。

   二、 艱難辛苦を通して救いへ                                  P.8

  ヒルティが具体的にどのような艱難辛苦の道を経て回心に至ったのかは「ヒルティ伝」(白水社刊)にも書かれていません。ただ、

   『私の生涯においてまるで夢遊病者と同じ様子であったことが数限りなくあった。』 
(草間平作・大和邦太郎訳「眠られぬ夜のために 第一部」3月22日 岩波書店1990年刊より。 以下、本書を「夜Ⅰ」と略します。また、頁でなく、書かれた日付で示します。)

との記述があるだけですが、ヒルティが長い時期艱難辛苦に耐えてその結果回心に至り、名著を残すことになったのだということは想像に難くありません。
旧約聖書詩篇に書かれている苦難に喘ぎながらも神を求め続けたダビデの生き様や次のパウロの言葉からも回心へ至る道は言語に絶する試練の中からこそ初めて開かれていくことが理解出来ます。

   『彼がそれを選んだのは「極度に耐えられないほどに圧迫されて、生きる望みを失い、心のうちで死を覚悟した時であった。それは「自分自身を頼みとしないで死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするためである。神は死から私達を救い出してくださった。なお、日々救い出してくださる。だから、私達は神が今後も救い出してくださることを望んでいる。」』 (幸Ⅲ135頁)

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。」、或いは「断崖に身を翻して後に蘇る。」との言葉もあるように、パウロは絶対絶命の深淵の中から自己のすべてを放棄し、神へそのすべてを委ねたことによって、「永遠の神の愛」に目覚めたのです。
ヒルティは人生をこの「永遠の愛に目覚めることを最終目的とする学校とみなしました。

   『人生の意義は、この人生をばますます高い目標を追って進む次の存在のための学校だとみなさない限り、どんな宗教や哲学によっても、充分に明かされない。つまり、この時代にわれわれはこの地上ではまだわが身に付きまとう動物的なものを肉体とともにすっかり脱却して、自由な精神的存在となる用意をしなければならないのである。これに反対するのは悪の存在であり、それはあらゆる手段を用いてほかならぬ人間のそのような完成を妨げようとするのだ。』
(草間平作・大和邦太郎訳「眠られぬ夜のために 第二部」2月10日 岩波書店1990年刊より。以下、本書を「夜Ⅱ」と略します。また、頁でなく書かれた日付で示します。)


2012年3月17日土曜日

P.7

  『真の教養人』の完全な典型は誰かと問われた時、その人こそイエス・キリストであると答えることが出来るでしょう。

  『キリストの内には、およそ考えられうる限りの最高度に神が宿り給うたのである。』 (幸Ⅱ73頁)

言い換えれば、キリストは最高度の回心の域に達したということであり、人間のあるべき最高の模範を示したとも言えましょう。

  『キリストが示した高貴の典型は小さなものや貧しい人、虐げられた者や罪ある者に対するこよなく優しい愛情と、当時のすべての高位の者、富める者、権力ある者らに対するこよなく偉大で沈着な自信とが並びなく結びついていたことである。』 (幸Ⅱ197頁)

 このように見てくると「自分のような凡夫がキリストの様な境地に辿り着けるわけがない。回心など夢のまた夢だ。」との嘆きが聞こえてきそうです。
しかし、筆者の経験から言ってもそれはけして不可能なことではありません。キリストのレベルとまではいかずとも相当なところまで近づくことは可能です。しかも、凡人、非凡人は全く関係ないことです。
 次章では更に救いの道を学んで行きたいと思います。
P.6

 ヒルティは人は『真の教養人』にならなければならない、と言います。ヒルティの言う『真の教養人』とは一体如何なる人を言うのでしょうか。

  『真の教養人となるためには超感覚的世界の存在の確信に至り、そこから出てくる緒力の助けを借りなければ真の教養を身につけることは出来ない。』 (幸Ⅱ159頁)

  『単に自然のままの気高い心の力をもってしても、なるほど一時は動物的存在以上に自分を高めることもできようが、しかし、そのような無理想の人生観に対抗してどんな事情の下でも粘り強く戦い抜くことは出来ず、打ち続く大試練に会えば、自分自身に絶望しがちなものである。
だから、人間生来のあらゆる力に優るある大きな力が人間存在に働きかけることが必要である。
この大きな力こそ人間が自分自身に打ち勝つことを可能にし、また、どのような外的な禍も、もはや恐れずに足らずとするほどの力を与えてくれるものである。』 (幸Ⅱ159頁)

 ヒルティの言う『真の教養人』とは単に知識に溢れている入るような物知りのことではありません。
それは艱難辛苦を通して自分の魂の中に『人間生来のあらゆる力に優るある大きな力』の宿った人のことです。ヒルティはこれを『超感覚的世界の存在』とも表現していますが、これこそキリスト教徒が「聖霊」、「心理の御霊」或いは「永遠の神の光」、「永遠の神の愛」等と呼んできたものでしょう。
そして、これが自分の魂に宿ることを「回心」、「悟り」、「解脱」などというのです。結局、『真の教養人』とは「回心或いは悟りに至った人」ということでありましょう。

  『真の教養の証拠は第一に精神の健康と力とが次第に高まっていくことであり、次に一種のより高い聡明さが現れてくることである。そして、最後にその人の器量が独特の大きさを加えることである。』                                                                                                         (幸Ⅱ162頁)

  『真に教養のある人はあらゆる厭世主義や僧侶的隠遁に陥ることなく、恐怖や神経症からも或いは焦燥からも免れていて、自分の本質の最も深い箇所で落ち着いて、精神の健康を持ち続けながら、ついに人間生活の最高目標に到達することができる。』 (幸Ⅱ162頁)

  『最後にしかもこれが眼目であるが、持続的な罪の感情がなくなるのである。なぜなら、そうした感情が心にきざしても、いつでも直ちに取り除かれるからである。そして、自分が正しい道を歩んでおり、絶えず前進を続け、かくして全生涯を立派に終えることが出来るという確信を持つことが出来るのである。』 (幸Ⅱ325頁)
P.5

  『人生は出来るだけ早く見捨てねばならぬ単なる悲しみの谷ではなく、むしろ、われわれの全存在の最も大切な一時期であってまさにこの間にわれわれの全存在が前進する生となるか、あるいは序々に実現する実際の死となるかが決定されるのである。』 (幸Ⅱ236頁)

  『われわれはまさにこの戦いや、種々様々の艱難を切り抜けて完成にまで到達しなければならないのであって、こうした完成こそは現世における我々の任務なのである。ただ艱難辛苦によってのみ、我々の頑なに閉ざされた心がすっかり開かれてより高い世界観の尊い種子を受け入れるようになる。その種子はわれわれの心の中に蒔かれて、まず芽を出して、それから成長し、花咲きついには実を結ばなければならない。こういう生命の過程は促進することもできず、回避することもままならず、ぜひとも通り抜けなければならない。』 (幸Ⅱ236頁)

  『大きな苦しみも、全くの不幸として偶然からやってきたのではなく、ある目的を持って恵み深い御手から与えられたものと考えれば、耐えやすいものとなる。』
 (ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳「幸福論第三部」岩波書店1999年144頁 以下幸Ⅲと省略します)

 ヒルティは人間が蛇蝎の如く忌み嫌ってきた艱難辛苦こそが不可解極まる人生の正体を解き明かすための鍵であり、人間は疾風怒濤の苦悩の時期を通してこそ人生の本当の意味が理解出来るといいます。『恵み深い御手』とは『神』のことであり、『ある目的』とは『人生最高の目的』ということでありましょうか。
ここにおいて、私達には「人生観のコペルニクス的転回」とでも言うべきものが求められていると言えるかも知れません。この問題の核心とも言えるところを更に学んで行きましょう。
P.4      一、人生の目的と苦悩の意味                                    

 『もしも、この人生は単に束の間の動物的存在にすぎず、そのほかに何らの使命もないものだとしたら人間は一体何に促されて、生涯にわたって、自分自身と周りの世界とを相手にして、、初めは殆ど見込みなく見えるほど苦しい戦いをする気になるだろうか。』
 (草間平作、大和邦太郎訳、「幸福論第二部」岩波書店1998年159頁、以下「ヒルティ幸Ⅱ」と省略    します)

何故人生はこれほどまでに苦難に満ち満ちているのでしょうか。そして、苦難はなぜ人々に均等でなく、不平等に課されるのでしょうか。今日に至っても生老病死からくる人間の凄惨な人生苦は無数の自殺者をもたらし、その勢いは留まるところを知らないかのようです。

 「何故、このように苦しまなければならないのか、生きる意味が一体どこにあるのか。こんなことならいっそのこと早死にするか動物にでも生まれてきた方がまだましだ。いや、大体生まれてこなければよかったのだ。」

有史以来人間が抱き続けてきたこのような絶望の叫びに対してヒルティは次のように答えていきます。

2012年3月16日金曜日

  P.3     ― 謝    辞 ―                             

 ブログ開設に当たって次の方々にご理解、ご協力、引用のご許可をいただいたことを深く感謝し、また、御礼申し上げます。

 大和邦太郎先生著作権継承者様、山田邦男先生、岩波文庫編集部様、白水社編集部様その他の方々。

しかし、草間平作先生著作権継承者様とはどうしても連絡が取れず、取れないままにブログをスタートしたことをお詫びしなければなりません。このブログをごらんになったら、お便りを頂ければ幸いに存じます。

 なお、本文中『 』内はすべて、カールヒルティの言葉です。そのあとに引用箇所を示しています。
また、「幸福論」三巻はそれぞれ「幸Ⅰ」、「幸Ⅱ」、「幸Ⅲ」と略し、そのあとに頁を、「眠られぬ夜のために」二巻はそれぞれ「夜Ⅰ」、「夜Ⅱ」と略し、そのあとに日付を示しています。

                                                  ― 謝 辞 ―

 今回のブログ開設にあたっては次の方々にご理解、ご協力、引用許諾等いただいたこと深く感謝いたしております、ここに深く御礼申し上げます。

大和邦太郎先生著作権継承者様、岩波文庫編集部様、山田邦男先生、白水社編集部様、その他の皆様。

しかし、草間平作先生著作権継承者様とはどうしても連絡が取れず、取れないままブログをスタートしてしまいましたことお詫び申し上げます。もし、このブログをご覧になりましたら、申し訳ございませんがご連絡いただければ幸いに存じます。

                             ― 目 次 ―

            序  文                                     1P
            謝  辞                                     3P

第一章  人生の目的と苦悩の意味                          4P
第二章  苦悩を通して救いへ                             8P  
第三章  永遠の生命―「復活」の意味するもの                  10P        
第五章  ヒルティの感銘深いエピソード                       15P
第六章  ヒルティと禅                                  16P
第七章  真の宗教とは―宗教、宗派を超えて                   18P
第八章  自殺願望者へ                                20P
第九章  ヒルティの慧眼                                21P
第十章  ヒルティと私                                  22P
第十一章 ヒルティを生きる―人生観の「コペルニクス的転回」の達成     24P
第十二章 ヒルティの読み方                              25P
第十三章 最後に                                    26P

2012年3月12日月曜日

P.2

   ヒルティは両著によって多くの若者を絶望の淵から、より高い世界観へ導こうとしました。第一次大戦時には、塹壕のドイツ軍兵士たちに配られ、多くの兵士に慰めと励ましを与えました。
また、戦前、日本語にも訳されましたが、旧制高校の教科書としても採用され、多くの旧制高校生がヒルティの著書から人生を学んだものと思われます。


40代のカール・ヒルティ (1833-1909 )

2012年3月8日木曜日

    P.1   ブログを始めました。

 取り上げたテーマはカール・ヒルティ(1833-1909)という人です。彼はスイスの生んだ偉大な法学者、思想家、キリスト者として知られますが、特にその著「幸福論」全三巻、「眠られぬ夜のために」全二巻は今日まで各国語に翻訳され、多くの人々を絶望から救い、希望と祝福を与えてきたことで不朽の名著となりました。ヒルティは「近代スイスの父」と称されています。

 彼は私にとって心の師であり、また心の支えともなる人です。ヒルティの遺した言葉は精神的支柱をなくし、人生苦に喘ぎながら,闇路を彷徨い続ける現代人にとって極めて重要な示唆を与えていると思います。
ヒルティのたどり着いた高貴な世界観にはキリスト教という一宗教宗派を超えて世界中のあらゆる人々が受容しうる普遍的あるいは実存的真理というものが内包されているように思います。
私は学者でも、研究者でもないので学問的なことは苦手ですが何より六十数年に及ぶ人生体験があります。ヒルティの言葉の一つ一つを自分の体験と照らし合わせながら学んできました。
だから私はヒルティを知的にでなく体験の中から学んできたとの自負があります。しかし、まだまだです。深遠なヒルティの思想をどこまで学んだのかわかりません。

このブログを通して皆様と共に「人生とは何か」 「苦悩とは何か」という私たちにとって最重要な問題を考えていきたいと思います。特に現在、艱難辛苦に喘いでいる人、運命に打ちひしがれ、、打ち砕かれ、常に意気消沈に陥っているような人、さらに死を考えている人たちにもぜひとも読んでいただきたいと願っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

     2012年3月8日                     吉俊 より